アマルティア・センの『集合的選択と社会的厚生』を開く

II.読解のポイントを探る 【P.3 L.17】

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検討項目

位置 検討する部分 種別 訂正案, コメント
P.3 L.17 〔第3段落〕 X (集合的選択の問題領域が広いこと,投票以外の問題にも関わることの指摘と思われます。)

関連項目

位置 検討する部分 種別 訂正案, コメント
P.3 L.17 社会を構成する人々の欲求や欲望に関連するとしても, Y3 社会のすべての構成員の必要と欲望の全体に関連してはいるが,しかしながら,
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P.3 L.19 冷徹な経済官僚 Y3 冷静な経済専門員
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P.3 脚注L.4 (脚注2の文献,G. Lefebvre,『フランス革命の到来』(The Coming of the French Revolution)について) X (文献情報,多くのフランス革命書籍から本書を選ぶ背景他→詳細
P.4 L.1 これら Y3 この双方
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P.4 L.2 実際には Y2 かなり
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P.4 L.2 多様な Y3 異なった
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P.4 L.3(L.4) 多様性 Y3 異なり
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  • 第1段落,第2段落で研究の主題を提示しましたが, その説明では(投票などの)制度的メカニズムの問題が意識されがちでしょう。
  • 第3段落では,本書の集合的選択の問題領域がより広いこと, 投票による選好表明などだけでなく,「集合的選択にかんする判断」の他の形式の例を含むことを指摘しているものと思われます。
  • A)冷静な経済専門員の事例とB)怒れる群衆の事例では,人数や精神状態が対照的なほか,以下の特徴が大切なようです。
    • Aでは,被課税者への配慮などを含んだ全体的観点から主張を展開しています。(様々な個人の効用を想定して比較する複雑な思考と思われます。)この人物は単身で主張しているのですが,「社会のすべての構成員の必要と欲望の全体」に関連して発言しており,その意味で「ひとつのタイプの集合的選択にかんする判断を提供する」(provides a judgement on collective choice of one type)といえます。
    • Bはフランス革命の一場面であり,既存の集合的選択のメカニズムに反対する活動の一部です。(実力行使的でもあり,このあとドローネーを殺害してしまいます。)

      「怒れる群衆」は,それ自体としては「社会のすべての構成員の必要と欲望の全体」を代表していません。そこで「集合的選択にかんする判断を提供」しているといえませんが,引用文献のルフェーヴルの著作では,アリストクラート,ブルジョワ,民衆,農民の4カテゴリの人々がそれぞれ革命活動にかかわっていき,全体として(ブルジョワ革命として収束するかたちで)フランス革命をなしとげたと考えます。「怒れる群衆」(民衆カテゴリ)は,全体として進行する革命という集合的選択に関わっていたとはいえるでしょう。

      本書でも,この観点から「これとはことなる種類の集合的選択にかかわっていた」(was involved in a collective choice of a somewhat differenet kind)の表現を用いているものと思われます。

  • AとBで「問題へのアプローチ」が異なるというのは,基本的にAとBの間での異なりの指摘です。ですが,AとBどちらも「問題へのアプローチ」が投票等の制度的メカニズムのアプローチと離れてしまっていることも,あわせて理解できます。
    • AとBは複数の点で対照的ですので,問題へのアプローチが相互に異なるのは自然に理解できます。
    • 一方,AとBはどちらも投票と関連のうすい場面です。Aは全体的観点から主張をしているので,(各自が個人的希望を表明している問題ではすぐ投票してもよいでしょうが)まずは内容を吟味する議論が必要に思われます。また,Bで投票に至らなかった(群衆が王制廃止の投票を行えるような立場になかった)のはもちろんです。
  • この第3段落の 「集合的選択にかんする判断」の「異なる形式」の問題は,第11章のP.229-P.230における 集合的選択の実践のタイプの議論などに結びついていると思われます。 例として(1)制度的メカニズム,(2)計画の決定, (3)社会批判・社会政策の議論,(4)委員会での決定, (5)公共的な協力の5タイプが議論されていますが, ここでAは(2), (4), (5)と,Bは(3)と関連が大きいと思われます。
  • 現代や過去の実社会をふりかえると, たしかに投票以外の「集合的選択にかんする判断」の現れるケースも多いと思われます。 Aに登場するような委員に問題を委ねて, その委員が他の構成員の効用について考えるというケースはむしろ投票の機会より多いかもしれません。出版や集会を通じて社会批判を行うのも一つの形式であり,また,Bのような革命も一つの形式であったことになります。
  • 「この異なりは集合的選択という主題がもつ本質的な側面のひとつ」というのは,実社会の集合的選択がこれら複数の形式の重層的な出現のなかで進んでいること(そこで,投票など制度的メカニズムの問題だけを考えて済むものではないということ)の指摘でしょう。
  • 「領域が非常に豊かであるのはこの異なりに関係している」も同様に理解できます。投票など制度的メカニズムの問題に限定すると,前述の(a)から(e)の5タイプの議論も(a)のみしか残りません。この「異なり」を含めることで問題領域の豊かさを適切に維持できることになります。
  • (なお,「第二はね橋」の場面における一部の逸話から,Bの怒れる群衆に「約束を守らない」特徴を見出す指摘があるかもしれません。ですが,引用文献にそのような描写がありませんので,本段落でこの意図はないでしょう注1。同じく,Aの描写から化学者ラヴォアジェを連想することもできますが,基本的には,そのような意図もなかったと思います注2。)



【注釈】

注1) ネット上等では,ドローネーは自分たちに危害を加えないという条件で第二はね橋を降ろしたのに,怒れる群衆は橋を渡った後で彼を殺害してしまった,というような記述が見られる場合があるようです。ですが,これは歴史書にある記録と少し異なっており,ルフェーヴルの著作にも群衆が約束を破ったという表現は含まれていません。

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注2) 化学者ラヴォアジェは徴税請負人でもあり,税制度に関する活動を積極的に行って脱税を防止する為の城壁建設を実現させた等の逸話がありました。フランス革命で処刑されたこともあり,本段落の内容から連想されやすい面があるかと思われます。ですが,ここで引用されているルフェーヴルの著作を見ると,(1789年のフランス革命の展開は克明に描写していますが)ラヴォアジェには特に触れていないようです。そこで,引用している側の本書においても,そこまでの意図はないのではないかと思います。

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[2011年8月26日 初版をアップ](最終アップデート:2013年6月1日)


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