アマルティア・センの『集合的選択と社会的厚生』を開く

I.冒頭の段落について

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本ページの概要とお願い:
  • 本ホームページは,Amartya Sen先生の『集合的選択と社会的厚生』(日本語版, 勁草書房)の冒頭部分(第1章「はじめに」1.1「予備的注意」の最初の一段落)に焦点をしぼり,その読みかたを検討するものです。
  • 読者としては,おおむね大学一年生以上の方を想定しています。
  • 本ホームページの内容は個人的な解釈に基づいておりますので,その点はご了解下さい。 (内容を要約した概要紹介もトップページの一部にありますので, 以下の本論の前にご覧いただければと思います。)
  • 本ホームページでは読者の方のお手元に『集合的選択と社会的厚生』(勁草書房)がすでにあることを前提にしています。 書籍を開いて,対応させながらご覧下さい。


1. はじめに

 本論では,『集合的選択と社会的厚生』(日本語版, 勁草書房)の冒頭部分(第1章「はじめに」1.1「予備的注意」の最初の一段落)に焦点をしぼり,その読みかたを検討します。 (この部分の読みかたについては,まだ類似の資料があまりないようです注1。)

 本論では,読者の方のお手元に『集合的選択と社会的厚生』(勁草書房)が すでにあることを前提にしています。 書籍を開いて対応させながらご覧下さい。 該当段落を含め,1.1「予備的注意」には初版本が出版されて以降2010年10月現在まで特に修正がありませんので, どの時点の書籍をご覧になっても結構です。

 該当段落は,原書では以下の表現になっています。

 There is something in common between singing romantic songs about an abstract motherland and doing optimization exercises with an arbitrary objective function for a society. While both the activities are worthy, and certainly both are frequently performed, this book, I fear, will not be concerned with either. The subject of our study is the relation between the objectives of social policy and the preferences and aspirations of members of a society.

 この英語も踏まえつつ,検討をすすめたいと想います。

 なお1.1「予備的注意」の4段落は,起承転結とはいえないかもしれませんが, それに似た明確な相互関係があるように思います。特に冒頭の段落と第2段落は関係が深く, 両者を見比べながら考えると理解しやすいと思いますので,本論でも,必要に応じて第2段落の内容を 踏まえつつ議論を進めていきたいと思います。 この点もご了解下さい注2

 以下の本論の構成はつぎの通りです。 第2節では,「母国をロマンティックに美化して歌いあげる」の意味を検討します。 第3節では,「社会にかんする恣意的な目的関数を最適化する」の意味を検討します。 そのうえで,第4節で「共通する何か」と「われわれの主題」について検討し, 第5節で,該当段落の本書籍全体内での位置づけなど,残された論点を整理したいと思います。



2. 「母国をロマンティックに美化して歌いあげる」について

2.1 問題への接近

 原書ではsinging romantic songs about an abstract motherlandとなっています。 そのまま訳せば「抽象的な母国についてのロマンティックな歌を歌う」 となるでしょう。単語songsが複数形ですから,数多くの歌を歌うのです。

 本格的な検討の前に,まず上記で単語motherlandを「母国」と訳した問題について 確認しておきたいと思います。これは訳書と同様であり,基本的に「母国」でよいと 私も思うのですが,この単語の背景は少し複雑です。段落全体を理解する上でも 大変重要と思われますので,一旦この単語の意味だけに集中して整理したいと思います。

 まずWebster's Ninth New Collegiate Dictionary (Merriam-Webster Inc. 1991)によれば, つぎのようにあります:

  motherland
     1: a country regarded as a place of origin (as of an idea or a movement)
     2: FATHERLAND

  fatherland
     1: one's native land or country
     2: the native land or country of one's father or ancestors

 本書のmotherlandは,基本的にmotherland項目の2のFATHERLANDと同義であり,つづくfatherland項目では当面のところ1の意味が適当でしょう。この観点からすれば,motherlandは基本的に「母国」と訳してよいでしょう。

 ただし,国家を表す言葉としては,motherlandやfatherlandはそれを想う感情が込められることが多い点で特徴的であり,授業で習うようなその他の英語表現と異なります。すなわち,一般に国家の概念を表す英語には,政治的な共同体としてのいわゆる国家であるstate,国民国家としてのnation state,その国民であるnation,国土を表すcountryなどといくつかのバリエーションがありました。motherlandやfatherlandは土地に関する概念という点ではcountryに近い点があります。一方で出自に関連した概念であることから民族的な響きを伴うことが多く,この点ではnationに似た側面があるといえるでしょう。とはいえ,motherlandやfatherlandの場合はcountryやnationよりも感情の込められ方が強く,場合によっては, いわば魂の故郷,命をかけて守るものといった強い想いが込められることもあります。日本語でいえば「母国」を越えて,いわば「神国」のようなニュアンスに至ることもあります。

 単語motherlandには,fatherlandと異なる特徴もあります。まずmotherlandとfatherlandでは,motherとfatherの違いから明らかに語感の違いが生じています。motherlandは大地に母性を見出す思想に根ざしていて歴史が古く,多くの国に関連する概念があるようです。実際,国家を女性に例える傾向は世界的に見られます。私たちは中学や高校の英語の授業で国家をさす代名詞がshe, her, herになりうることを習いましたが,それもこの傾向の1つです。

 実際の使用例としては,motherlandは,例えばかつての大英帝国で植民地に対する イギリス本国を意味する言葉でした。(植民地で生まれた子供の場合は上記のfatherland項目の2の意味ということになります。) またロシア人はしばしば母国をMotherlandと呼ぶことで有名です(ロシア人自身が使うとき,Mは大文字)。 ソビエト時代にはソビエト連邦の意味であり,ソビエト政府は国威発揚と社会主義の普及を目指し大いに この言葉を使いました。(一方,fatherlandは,第二次大戦に際してドイツで国威発揚に大いに使われました。)このため,英語圏, 特にイギリスを除くアメリカ合衆国などの旧植民地圏では,motherlandはソビエト連邦を (そしてfatherlandはナチス時代のドイツを)語る際によく使われる傾向があります。 アメリカ合衆国では,イギリスを意味する言葉としてもmotherlandを使う場合がまだあるようですが, 大英帝国を意識した特殊なニュアンスの表現であり,稀なことのようです。また著者の母国であるインドは, 同じくイギリスの旧植民地ではありましたが,アメリカ合衆国とは違い, 1947年の独立時から自国を指す言葉として積極的にmotherlandを用いる特徴がありました 注3

 以上,単語motherlandに関する事項について簡単に要約しました。思い入れの強い特殊な単語であることのほか,往々にして自分の母国でなく特定の国家を意味するということを確認しました。

 さて,このような母国(motherland)という単語を使って「抽象的な母国についてロマンティックな歌を歌う」 というのは,どのような意味でしょうか。まず注目されるのは「抽象的な母国」(an abstract motherland)という表現でしょう。以下では,この「母国」(motherland)に抽象性が感じられる という表現を考えつつ,ロマンティックな歌を歌う意味について検討します。そのうえで, この書籍が出版された当時の社会主義国家,特にソビエト連邦の位置づけと重ねて, さらに検討を加えたいと思います。訳書の「美化して歌いあげる」という表現は, abstractを「現実をはなれるほどに理想的に思い描いて」あるいは「理念としての 国家を思い描いて」というように踏み込んで訳したものでしょう。それは一理あるのですが,本論では,まずこの「抽象的な母国」(an abstract motherland)の表現に留まり, その意味をもうすこし検討することから始めたいと思うわけです。


2.2 抽象性の感覚とロマンティックな歌

 国家は,実体的な母親や父親と異なり,いわば人間の思考の産物で心の中にあるものです。 その意味で母国(motherland)も「理念的」なものなのですから, 抽象的であるというのはある意味当然です。「抽象的な母国」 (an abstract motherland)というフレーズでは,しかしながら, それをあえて「抽象的な」と言葉にしている点が問題に思われます 。

 このフレーズは,実際には,何らかのより実体的な事物との対比を念頭に用いられることが多く,その際,しばしば否定的な意味が伴われるようです。例えば,次のような使われ方がみられます 注4

  • i) 「かつては国民誰もが王に従ったものだが,その後は各々が勤めを果たすべき抽象的な母国が残った。」

 忠誠の対象として,実体的な人間である王と比較した母国概念の問題が取り上げられた例です。ここでの「抽象的」は「理念的」という基本的な意味の「抽象的」で,単語としては肯定とも否定ともいえない中立的表現です。ですが,本来積極的に肯定すべきmotherlandと並べる表現としては,冷めた印象が残ります。その点では否定的と言えるでしょう。

 「抽象的な母国」(an abstract motherland)というフレーズでは,さらに,実体的な人間などと比較する中で,遠くとらえがたいといったニュアンスが加わることも多いようです。例えば,次のような使われ方をすることがあります 注5

  • ii) 「彼が戦ったのは抽象的な母国のためではなく,そこにいた家族のためだった」
  • iii)「その時代,抽象的な母国は尊重されたが,人格はそうではなかった」

 ii)では実体的な人間である家族と,iii)では一般的な国民の人格と比較されての母国概念です。愛国心が問題になっている点はi)と似ていますが,ここでは単に理念的なというのでなく,大切にすべき別のものがあるという,否定的な感情が込められています。もともと「抽象的」(abstract)は,単語として(「理念的」という意味を越えて)「空論的」とか「理想主義的」といった否定的な意味になることがあり,ii)やiii)の例文の「抽象的」はその意味で考えてよいでしょう。(場合によっては,さらに強く,「幻想のような」,「おぼろげな」,「偽りの」といったニュアンスかもしれません)。

 以上,「抽象的な母国」(an abstract motherland)が,理念的な母国(冷めた心境),もしくは空論的,理想主義的な母国(強い反意を含む心境)の意味となり,否定的な意味を伴いがちな表現であることを確認しました。

 さて,本書籍の「抽象的な母国についてロマンティックな歌を歌う」(singing romantic songs about an abstract motherland)という表現を考えます。上述のように,「抽象的な母国」(an abstract motherland)はもともと否定的な意味を伴いがちでした。ここでは「ロマンティックな歌を歌う」という表現と並べられていますが,これと比較してもやはり距離を感じる冷たい表現です。「ロマンティックな歌を歌う」対象として違和感のあるものとして,そのギャップを強調しているように読めますので,本文でもやはり否定的な意味を読み取ってよいでしょう。

 さらに,この段落の「抽象的な母国」(an abstract motherland)の「抽象」(abstract)が,第2段落の4行目と脚注1の3行目にある2つの「抽象」(abstract)の表現と呼応していると思われる点が大切です。これら2つの「抽象」(abstract)は,具体的な実体である国民から切り離した抽象物として社会や国家を考えるという「抽象」(abstract)で,批判的に捉えられています。

 この冒頭段落では,従って,国民と切り離した抽象物として社会や国家を考えていること,特に本来人間ではない母国を独立した実体として擬人化し,それに対してロマンティックな歌を歌っているという点が問題視されていると考えてよいでしょう。そして,このことが第2段落の「社会がその中の人々から独立したひとつの実体である」とか「社会がそれ自身のパーソナリティと選好をもっている」という表現に結びついているものと思われます(「選好」は続く「恣意的な目的関数」の問題に関連が深いと思われますので,ここでは特に「パーソナリティ」が重要でしょう) 注6

 以上,「母国」(motherland)に抽象性が感じられるという表現を考えつつ,ロマンティックな歌を歌う意味について検討しました。特に「抽象的な母国」(an abstract motherland)の第一の意味として,理念的,もしくは空論的,理想主義的な母国という,否定的な意味の解釈を与えました。


2.3 ソビエト連邦との関連

 ここでは「母国をロマンティックに美化して歌いあげる」の意味をソビエト連邦との関連から改めて考えます。

 前述のように,motherlandという言葉は冷戦時代にソビエト連邦によって大いに使われていました。自由主義陣営,特にアメリカ合衆国の読者に身をおいて想像すると,私はこのan abstract motherlandという響きにも「ソビエト連邦」を読み取ってよいように思います。またしばしば「母なる祖国像」 注7 も感じます。少し深読みしすぎかもしれませんが,著者にそのような意図があったと思われるということも,ここで付け加えて議論しておきたいと思います。

 ソビエト連邦の意味が読み取れる理由として,特に以下の点が上げられます。

  • 【母国を歌うロシア人の印象1】 
     自国を指してmotherlandの語を使うのは世界でロシア人だけではありませんが,ロシア人の場合,祖国を母親にたとえて「母なる大地」,「母なるロシア」と歌いあげる姿が国際的に共有されたイメージになっているように思われます。(日本語でも「母なるロシア」という表現をよく聞きます。これに対して「母なる○○」と他国を取り上げる表現はあまり聞きません。)motherlandは,そのようなロシアの歌を英語に訳すときによく使われる単語でもあります注8
  • 【母国を歌うロシア人の印象2】 
     また,1961年にガガーリンが有人宇宙飛行に成功した際に船内で"Rodina Slishit"("The Motherland Hears, The Motherland Knows")という歌を口ずさんだことも有名でした。(母国は聞いている,母国は知っている.息子がこの空のどこを飛ぼうとも…,と続きます。)ガガーリンは本書の出版される少し前,1968年3月27日に事故のため亡くなっています。世界のメディアがこのことを報道した際,この歌のことも思い出されたでしょう。著者がこの事情を踏まえて「ロマンティックな歌を歌う」という表現を選んでいる可能性もあると思われます 注9
  • 【本書の文脈1】
     冷戦時代を通じて,自由主義陣営の懸念のひとつはソビエト連邦などの意思決定プロセスは非民主的ではないかというものでした。この問題は,先に議論した「抽象的な母国」(an abstract motherland)のもつ否定的な意味あいと整合的です。つまり,冒頭のこの文では,国民と切り離した抽象物として社会や国家を考えていることが問題視されているものと解釈しました。ソビエト連邦の意思決定プロセスに関する懸念は,この文脈と整合的であり,読者としては,具体的な国家例として自然にソビエト連邦を思い描くことができると予想されます。
  • 【本書の文脈2】
     もう一つ,冒頭のこの文で ソビエト連邦が意識されていると考えると,第2段落の注釈で社会主義の研究の文脈や マルクスについて言及しているのとよく呼応しているように読めます。すなわち, 「個人に相対する形でひとつの抽象物として『社会』を再構築」するのはマルクスの考えた 社会主義と矛盾してしまっているという指摘と思われ,つまり「冒頭のようには言ったが, 現在のソビエト連邦などをもって社会主義の真の姿と考えてはいけない」とコメントしたようにも読めると思います(そうであるとすれば,自由主義陣営と社会主義陣営の両方にコメントしたものと位置づけられるでしょう)。
  • 【実際の使用例】 
     「抽象的な母国」(an abstract motherland)という表現は,実際,ソビエト連邦(ロシア)について記述した他の英語の文章でもしばしば見られる表現のようです 注10
  • 【その他】 
     ソビエト連邦のスターリングラード(現在のボルゴグラード)に 有名な「母なる祖国像」があり,この像のことを英語でThe Motherland Callsといいます。 単にMother Motherland, The Motherlandともいうようです。 そこで,この像自体が「抽象的な母国」(an abstract motherland)のもう一つの意味であり,冒頭の文ではソビエト連邦のための歌が 念頭におかれたと考えてもつじつまが合いそうです。 つまり,著者は,読者がmotherlandと聞いて「母なる祖国像」と「ソビエト連邦」を思い出すことを考慮して, この冒頭の文章を書いたのかもしれません。「母なる祖国像」ができたのが1967年で, この著作の原本が出版されたのが1970年ですから,タイミング的にもその可能性はあるように思われます。

 このように,「母国をロマンティックに美化して歌いあげる」という表現には,様々な観点からソビエト連邦の意味が感じられます。多様な根拠があることから,ソビエト連邦(あるいは象徴としての「母なる祖国像」)の意味を読み取ることは適当であるように思われます。(【本書の文脈2】の点は,5.1に後述するように別の研究書籍の文脈とも関連していると考えられるのですが,その別書籍の観点からもソビエト連邦との関連を読みとることができます。)

 ただ著者はan abstract motherlandといっており, the abstract motherlandと言っていません。 もしソビエト連邦だけ(あるいは「母なる祖国像」だけ)を指そうとしたのであれば, 定冠詞のtheを用いたほうが判りやすかったでしょう。 ここでan abstract motherlandとなっているのは,ソビエト連邦以外にも社会主義国が数多くあった(あるいは, ソビエト連邦内にMotherlandと呼ばれる像が他にもたくさんあったから 注11) ということもあるでしょうし,またその他の国々にも類似の側面があるというニュアンスを残したかった意図もあるように思われます(最後の点は,5.2で検討します)。

 以上,「母国をロマンティックに美化して歌いあげる」の意味を改めて検討しました。「抽象的な母国」(an abstract motherland)の第二の意味として,母国としてのソビエト連邦や他の社会主義国家(あるいは象徴としての「母なる祖国像」や他のMotherland像)という解釈を与えました。


2.4 要約と補足

 本節では,「母国をロマンティックに美化して歌いあげる」の意味を検討しました。「抽象的な母国」(an abstract motherland)については,1)理念的あるいは空論的,理想主義的な母国,特に2)母国としてのソビエト連邦や他の社会主義国家(あるいは象徴としての「母なる祖国像」や他のMotherland像)の意味と解釈しました。

 ところで,本段落は各部がたいへん簡潔な表現でまとめられており,かえって多様な解釈の可能性を増しているように思えます。この先も,見出そうと思えば,複数の解釈が可能な箇所をさらにあちこちに見出していくことができそうです。

 このように複数の解釈が可能であるのは,ある程度までは実際に複数の意味が込められているからでしょう。ちょうど今,「抽象的な母国」(an abstract motherland)に2つの意味を見出すことができたようにです。 (複数の国家ですごした著者の経歴注12を思えば,さらに旧植民地時代のインドを前提としたイギリス,独立後のインドといった解釈も可能かもしれません。実際,これらの点は後ほど少し検討します。)

 解釈の幅がある点については,しかしながら,冷戦状況における著者の配慮の結果という側面にも注意する必要があるでしょう。すなわち,本書は上記のように東西対立の問題に関わっていると思われます。 そこで自由主義陣営と社会主義陣営の諸国間の直接の対立は,もちろん慎重に考慮すべき背景ですし, もうひとつ,非同盟路線をとったインド国内でも様々な議論があり, この点に対する検討もあったと思われます。 例えば,本書が出版されてから6年後の1976年,インドは憲法に補正を加え, 社会主義国であることを明示するよう前文の文面を改めました 注13。 著者はこのような対立や論争のあるなかで本書を出版したのであり, おそらくは,重要と考える読者におおむね正確に意味が伝わるようにした上で, 大きな問題を生じないよう工夫をこらしたのではないかと思われます。

 本書で想定している重要な読者は,第一に自由主義陣営, 特にその筆頭としてのアメリカ合衆国の読者でしょう。 本書は英語で書かれたテキストであり,また中心的な「自由主義のパラドクス」の議論などは 自由主義を絶対視する視座への懐疑を示していくのですから, もともとこれを絶対視しがちな人々としてアメリカ合衆国の読者は重要であると思われます。 第二に,社会主義陣営の読者も重視されているはずですが,この場合は筆頭としてのソビエト連邦よりも, インド国内の社会主義の論者が重要であったかもしれません。 なお自由主義陣営の国でも,motherlandを自国の意味に使うイギリスや, この語をまったく使わない文化圏の国々の場合は文章の理解が少し変わってきてしまう可能性があります。 この点については,やはりアメリカ合衆国の読者に身を置き換えて読むとどうなるか確認して進むのがよいでしょう。 (日本語で読む場合も,アメリカ合衆国の読者の身に置き換えて読んでいくのがよいと思われますので, 本論でもそのように進めたいと思います。)



3. 「社会にかんする恣意的な目的関数を最適化する」について

 原書ではdoing optimization exercises with an arbitrary objective function for a societyとなっています。単語exercisesが複数形ですから,数多くの作業をするのです。

 ここで「目的関数を最適化する」というのはやや簡略化した表現で, こまかくは「目的関数を用いて最適化作業をする」と理解するとよいでしょう。 つまり,目的関数(何らかの価値観や考え方の反映)を変化させるのではなく, 与えられた特定の目的関数を駆使して様々な"改善"作業をするというニュアンスかと思います。

 「目的関数」の「目的」には,それほど深い意味はありません。 この用語は「最適化」の概念を整理すれば簡単に理解できます。 私たちはよく中学や高校の数学で最大値(や最小値)を求める計算をしました。 例えば,「0<x<1の範囲で,f(x)の最大値(最小値)を求めよ」といったものでしたが, このように関数がとりうるぎりぎりの値を求めるのが「最適化」の問題です。 そして最適化問題の用語として,一般的に,問題とされている関数つまりf(x)のことを「目的関数」というわけです。

 「恣意的な」(arbitrary)は別にして,「社会にかんする目的関数」にはどのようなものがあるでしょうか。 国民総生産の値を最大化することを社会的目標とする場合,国民総生産額を算出する関数は ここでいう目的関数の例になります。経済的平等を社会的目標とする場合は,収入の平等性を 算出する関数が目的関数の例になるでしょう。文脈上,目的関数というのは比喩的な表現と 思われますので,必ずしも数式の形で与えられていなくてもよいと思います。 例えば国民意識の高揚,外国人勢力の排除といった計測の難しい概念も目的関数となりえます。

 問題は「恣意的な」(arbitrary)の部分です。arbitraryは数学で「任意の」「所与の」という意味で よく用いられ,「どんなものでも与えられれば何でも」というニュアンスですから, ここで黙々と働く勤勉な労働者を思い描いてもいいかもしれません。 ただ,一方でarbitraryは「気ままな」あるいは「専制的な」といった意味にもなり, ここに「押し付けられた仕事を無理矢理させられている」という不満を込めたニュアンスを 読み込むこともできるでしょう。以上より,厳密にはこの「恣意的な」の解釈の可能性にも 幅があるわけですが,いずれにせよ,最適化のための作業を実際に行う作業者たちの目から見て, 意見を集約してボトムアップにつくられたというより,トップダウンに, 独断的にそのような社会的目標が設定されたという意味ととらえて差し支えないようです。

 以上の理解は,第2段落との関連から考えても適当でしょう。 すなわち,このような社会的目標の設定の仕方の問題が,第2段落の 「社会がその中の人々から独立したひとつの実体である」とか 「社会がそれ自身のパーソナリティと選好をもっている」という表現に結びついていると 考えれば,段落間のつながりも自然なものと理解できると思われます (「パーソナリティ」は先の「抽象的な母国」と関連が深いと思われますので, ここでは特に「選好」が重要でしょう)。

 さて,このように「恣意的な」をとらえたうえで,改めて「恣意的な目的関数」を考えると どのような例があるでしょうか。 例えば,先にソビエト連邦やガガーリンの例を上げましたが, これと関連する1957年以降の宇宙開発競争は好例であるように思います。 著者の目からすれば,多くの社会問題があるなかでその予算を減じて進める 宇宙開発競争はやはり異様でしたでしょうし,「恣意的な目的関数」に映ったことと思われます 注14。 (なお宇宙開発競争であればアメリカ合衆国も同様ではないかと思われる部分があります。 正にそうなのですが,この点はまた別にまとめたいと思います。)



4.「共通する何か」と「われわれの主題」

 こうしてみると両場面に「共通する何か」とは,「いずれの場面も,すでにパーソナリティや選好をもった社会があらかじめあって,それが個人を一部として取り込むことのみが問題とされており,個人から社会的な目標を導出する手続きが考慮されていない場面であること」であるように思われます。

 すなわち,これらの行為の場面には,共通して「社会はその中の人々から独立した実体であり,したがって社会的選好はその社会を構成する人々の選好にもとづく必要はない」という考え方,あるいは「何らかの依存関係が存在しうる」と踏まえつつも,「社会がそれ自身のパーソナリティと選好をもっている」と安易に仮定する考え方などが見て取れます。妥当性を改めて問うような視点を含んでいないこととも言えます。

 「共通する何か」は,個人の選好や願望の評価を捨象することを踏まえれば,「全員一致」と要約することもできるでしょう。本書の第2章のタイトルであり,すなわち,これが本書における「共通する何か」の答えであると私は思います。(「全員一致」は,先行するブキャナン&タロック著 The Calculus of Consent(『公共選択の理論』(東洋経済新報社, 1979))の主題でもあります。この論点については次節参照。)

 次に,文中の「価値あるものである」と「確かにしばしば行われてもいる」は,一見積極的に肯定する表現のようにも見えますが,「それらの国々においては」と補っておくのがよいでしょう。(例えば,アメリカ合衆国の読者もここで自国のこととは読まず,「ソビエト連邦などにおいては」と補って読むでしょう。)この部分で著者自身が「これらの行為」を肯定的に語っているとは考えにくいと思われます。同じく,様々な見解を採用することが可能であるという第2段落の議論も,著者自身がそのような立場に立つことを表したものとは読めません。

 すなわち,「これらの行為」は,一般の人々あるいは社会体制から「価値あるものである」と位置づけられることがあり,そして「確かにしばしば行われてもいる」が,「われわれの研究の主題」はそれらの行為とは違う種類のものとなるという流れでしょう。短くいえば,「母国をロマンティックに美化して歌い上げること」と「社会に関する恣意的な目的関数を最適化する」の双方にかかわらないというのは,「われわれの研究の主題」は人気を博さないおそれがあるということと思われます。そしてこのことが第2段落の「その人にとってこの本は退屈なものにちがいない」に結びつくものと思われます注15

(「価値あるものである」と「確かにしばしば行われてもいる」の意味は,「抽象的な母国」(an abstract motherland)の問題と同様に,本書を読み進める中で改めて考えさせられます。すなわち,その意味は変化していくように見られますが,この点についても詳細は次節で検討したいと思います。)

 さて,なぜ「そのどちらにもかかわらない」のかは,もちろん,「これらの行為」とは逆に,人々の選好や願望を集計することで社会的な目標を設定していくことに関心をもつからであると思われます。この本では「われわれの主題」をA「社会政策の目的」とB「社会を構成する人々の選好や願望」との間の関係であると宣言します。そして,第2段落の最後の文の表現から,その関係は,AのBに対する依存関係であることが判ります。すなわち,本書では,AがBに依存しなくてはならないとすればどのように依存させるべきなのか,その依存のさせ方はどのようであるのが望ましいのか,その幅広く奥深い問題に向かうことを宣言したわけです。



5. いくつかの議論

 本節では,第2段落以降での冒頭段落の意味の転回を考えます。第2段落から本書最終部にまで議論が及びますので,本書を購入されたばかりの方は意味が取りにくいかもしれませんが,参考として読んで頂ければと思います。

5.1 方法論的集合主義への批判とマルクス主義への理解

 第2段落はすでに多く検討してきましたが,その内容を読んで気がつくことのうち,これまで議論してこなかった点が主に3つあります。

 第1の点は,ブキャナン&タロック著 The Calculus of Consent (University of Michigan Press, 1962)(『公共選択の理論』(東洋経済新報社, 1979))における,有機体国家観を否定する議論が思い出されることです。『公共選択の理論』(以下,この書名で参照します)は,第2章で言及される書籍ですが,第1章でも念頭におかれているように思われます。

(同書では「有機体国家」の語を使いますが,方法論的個人主義の対語としてより一般的ですので,以下,本論では必要に応じて「方法論的集合主義」の語を用います。)

 第2の点は,マルクス主義に関する第2段落での評価が,その『公共選択の理論』での評価と異なっていることです。この異なり方が興味深く,(逆説的ですが)かえってこの書籍を念頭に議論を進めていることがはっきりします。

 具体的に確認します。『公共選択の理論』は「方法論的個人主義」の立場をとり (p.xvi, p.3),その観点から有機体国家観を否定します。同書の第2章「個人主義の公準」には次のようにあります。

「有機体国家は構成員たる資格を有していると自称する個々人から独立した一つの実体であり,一つの価値類型をもち,一つの動機をもっている。…(改段落)…しかし,その概念は,西洋哲学の伝統には基本的に反するものであり,西洋哲学の伝統の中では,人間個人が何よりもまず哲学的存在なのである。さらに,われわれは,現代西洋民主主義に妥当する共同選択理論を構築しようとしているために,まず,共同行為のどのような有機体的解釈をも排除するつもりである。」(p.13-14)

 そして,つづいて以下のように議論されます。

「拒絶は,『一般意思』の理念を包含するもっと議論の多い問題へと拡げられなければならない。社会を有機体概念でみる場合にだけ神秘主義的な一般意思の発生を仮定することができるのであって,その場合に一般意思は,個々の人間の政治選択が支配する意思決定プロセスとは独立に導出されているのである。…(改段落)…まったく同じ仕方で,われわれは,支配階層による被支配者の搾取という内容をもつ集団の理論ないし概念も拒絶する。これには,マルキストの考え方も包含されている。それは,経済を支配する集団が,被抑圧者に自己の意志を課す手段としての政体という考え方を導入している。」(p.14)

 このように,『公共選択の理論』では方法論的個人主義の立場から方法論的集合主義を否定する中で一般意志の考え方を否定し,あわせてマルクス主義者の考え方を拒絶しています。一方,『集合的選択と社会的厚生』では,同じように方法論的集合主義を否定して議論を始めたように見えましたが,前述のように,脚注において正にマルクスの視点からそれを否定したのでした。マルクス主義は方法論的個人主義の理論と位置づけられたかたちで,サルベージされたようにも読み取れます。

 読者からすれば,もともと冒頭段落を読んだだけで,ソビエト連邦やマルクス主義といったものへの批判的意味を感じるケースが多いでしょう。特にアメリカ合衆国の読者を念頭においた場合はそうでしょう。第2段落の脚注を読むと,しかしながら,(ソビエト連邦への批判は残るとしても)マルクス本来の社会主義は批判の対象から除かれる展開になるのでした。これだけでも意外な印象が残りますが,『公共選択の理論』の文脈を前提にすると,さらに強い印象が残ることになります。

 この設計は意図的なものであり,本書の構成を考える上でも重要かと思います。脚注という目立たない位置ではありますが,著者のマルクス主義への理解と,マルクス主義と相容れない「社会主義の著述家」への批判を表明したものと考えてよいかと思います。『公共選択の理論』におけるマルクス主義の扱いに対しての異議申し立てであったともいえるでしょう。

 さて最後の第3の未検討点は,問題となっている「社会主義の著述家」の具体例です。本書の内容から考えて,ここではまずレーニンを念頭におくのがよいと思います。例えば,本書に登場する人物名のうち研究者の名前を除いてリストすると次の表が得られ,参考になります。 (P.146-147のマシューとルークの例は除いています。)


人物名 登場箇所(ページ番号)
マルクス 3, 83, 148
ドローネー 3
ネロ 31, 121
マリーアントワネット 34
リンカーン 48
レーニン 48, 148

 各人物とも歴史上の人物ですが(ローマの大火(ネロ),フランス革命(マリーアントワネット,ドローネー),南北戦争(リンカーン),ロシア革命(マルクス,レーニン)),マルクスとレーニン以外は理論説明を補助する事例のようなかたちで登場しています。それに対し,この2人はその国家観が問題になって登場するケースがあり,レーニンの方がより否定的に描写されている印象が残ります。(レーニンは,p.48でリンカーンと比較する仮想投票にも登場しますが,ここにも著者の批判的な意図が伺われます。)他にこのような登場の仕方をする人物例がないということは,著者のマルクス対レーニンという図式はかなり重要で,本書の底流の一つとして位置づけられているようにも思われます。

 実際,レーニンは外部注入論を唱えた点で「抽象的な母国」(an abstract motherland)の構築に関わった理由を見出すことができます。外部注入論を唱えたのはレーニンだけでないので,もちろん問題視される社会主義の論者は他にも多くいます。本書の出版時期を考えれば,構造主義的マルクス主義のルイ・アルチュセールの議論なども念頭におかれていた可能性があるかと思います。

 マルクス本来の社会主義をそれ以後の社会主義の論者と区分する観点は,著者が古参のマルクス主義経済学者モーリス・ドッブの弟子であったこととも整合的に理解できます。注意してみると,本書の「序言」で執筆の経緯を説明した部分に次の記述があります。

「私は,この本に影響を与えた人々に負うところがあることを記さなければならない。この問題にたいする私の興味がはじめて芽生えたのは,およそ15年ほど前私がケンブリッジ大学のトリニティカレッジの学部生であったころのMaurice Dobbとの刺激的な議論によってであり,それ以来折に触れて彼と議論を続けてきている。」(p.iv L.13-15)

 この記述はいわば「お世話になった方々」に対する謝辞の部分にあるのですが,他の人々に先がけてその冒頭に書かれています。この扱いからも,本書の執筆にモーリス・ドッブが重要なきっかけを与えていたことが伺われます。

〔以下準備中〕


【注釈リスト】

注1)  2010年8月29日現在,ネット上でこの冒頭段落について言及しているサイトを調べると2件が見つかります (Googleで"singing romantic songs about an abstract motherland"などと検索)。 いずれも2010年の4月末頃,本ホームページの作成を検討した時期にすでにアップされており, 先立って私も読んだのですが,残念ながらあまり参考にできませんでした。

 1件目は個人的な読書録がアップされているSTEVE READSというサイトで, 2007年11月8日の欄に以下のコメントがありました(この記事は2010年8月29日現在 こちらのHPで 見られます):

 I like the first sentence in Amartya Sen's Collective Choice and Social Welfare : (ここで冒頭段落の最初の1センテンス(..for a society.まで)を引用して改行) I dunno, I just like that.

 「判らないけれど,気にいった」ということですから,直接にはあまり情報がありませんでした。

 もう1件は(同文書に"下書原稿のため引用不可"の付記がありますので)引用は避けたいと思いますが, こちらでは冒頭段落の英文の2センテンス分(..with either.までの部分)について言及されていました。 基本的には「社会から高い評価を受けない」という観点からの解釈で,それ自体は適切に思われましたが, 冒頭段落の一部に焦点があたっており,段落全体を理解する上では十分なコメントになっていないように思われました。 (もっとも,後述のようにこの段落の問題は複雑です。そこで,執筆者は全体を理解した上で,適切な記述に収まるように, 執筆者自身のテーマに必要な部分のみを切り出したのではないかとも思われました。 また同じことは,1件目の読書録のサイトについても当てはまるかもしれません。 色々と考えた上であえて深く語らず,つい結びつけがちな2センテンス目を切り離すことだけをして, 最初の部分をクローズアップして適切な理解を促した可能性もあるかもしれません。)
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注2)  第2段落以降の部分については,必要な場合は訳の修正を提案したうえで, その修正した訳文を用いて議論をすすめたいと思います。 恐れ入りますが,この第2段落以降の部分の問題については,本サイトの別ページ 「読解のポイントを探る」の記述もご確認ください。
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注3)  motherlandについては,2010年5月8日現在, 英文wikipediaのmotherland項目が参考になります。 また,2010年8月22日現在, 英文wikipediaのfatherland項目も参考になります (ページ下部で,単語fatherlandが英語圏でナチス政権と関連づけられやすい歴史を指摘したあとの部分に, "The word Motherland in modern English carries similar associations with the Soviet Union."と記述があります)。 同じく,2010年8月22日現在, 英文wikipediaのhomeland項目も参考になります。
 インドの独立時におけるmotherlandの語の使用は,ネール首相の 有名な"Tryst with destiny"のスピーチで確認できます。 このスピーチの内容は2010年8月29日現在, 英文WikipediaのTryst_with_destiny項目で見られますが, その締めくくりに,"And to India, our much-loved motherland, the ancient, the eternal and the ever-new, we pay our reverent homage and we bind ourselves afresh to her service. "という表現が含まれています。 インドでmotherlandの用語が残ったことについては,アメリカ合衆国などのように移民国家でなかったことが大きいかと思われます。 またインドの場合,1947年の独立時にはイギリス連邦王国(インド連邦)という位置づけで、 まだイギリス国王を君主とする形態が残っていたことの影響もあったかもしれません。 (本文に戻る

注4)  例文の(i)については,2010年10月27日現在ネット上で確認できなくなりましたが,以前に以下の例がありました。

  • 「全オスマン人が仕えるサルタンはもはやなく,代わりに皆が個別にそれぞれの某かの勤めを果たす抽象的な母国があった。」 ("There was no longer a sultan that all the Ottomans were subject to, but instead an abstract motherland toward which all somehow fulfilled their obligations differently.") (以前こちらのHPで見られました。)

 また2010年10月31日現在,次のような表現がネット上で見られます。

  • 「ほんの300-600年前には愛国者はいなかった。"国民"国家がなかったからだ。王国などがあった。 誰もが王を愛することを要求された。母国ではなく。近代の統治官僚制は人々に彼らを愛するよう求めることができない。そこで,彼らは人々に抽象的な母国を愛するように要求する(あるいはそのように養成する)のだ。」 ("Just 300-600 years ago there was no patriots because there were no "nation" states; there were kingdoms, etc. Everybody was required to love king, not a "motherland". Modern ruling beaurocracies cannot demand people to love them, thus they require/train people to love the abstract motherland.") (こちらのHP

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注5)  例文の(ii)の表現例については,2010年5月9日現在,次の表現がネット上で見られます。

  • 「しかし彼らは抽象的な母国のためではなく,まさにそこにあった家族と家のために戦っていた。」 ("Yet they were not fighting for an abstract Motherland, but for their immediate families and homes.") (こちらのHPの後半部)

 例文の(iii)については,2010年7月16日現在ネット上で確認できなくなりましたが,以前に以下の例がありました。

  • 「抽象的な母国や祖国は尊重されたが,人格は決してそうではなかった。」 ("An abstract motherland, fatherland could be respected, but never personality.") (以前こちらのHPで見られました。)

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注6)  訳文中の「選好」や「選好する」は,「好み(preference)」や「好む(prefer)」の学術的な表現です。 xとyのどちらを好むかといった意味にすぎませんので,当面は深く心配しなくてもよいでしょう。 例えば,消費税額を5%とする政策(x)と15%とする政策(y)を比べ, 個人として後者がよいと思えば,その方はxよりyを選好(prefer)しています。xよりyを高く位置づけるような選好(preference)をもっているなどともいいます。また,「社会的選好」とは社会的なレベルでどちらを好むかということです。国会で議決するなどして社会として後者を選択したとすれば,その社会はxよりyを選好(prefer)したことになります。xよりもyを高く位置づけるような社会的選好(social preference)が確認されたなどといってもよいでしょう。 (本文に戻る

注7)  2010年5月8日現在, 日本文wikipediaの「母なる祖国像」項目 英文wikipediaの"The Motherland Calls"項目などが参考になります。 (本文に戻る

注8)  「母なる大地」や「母なる祖国」を歌うロシアの歌として、次のような例があります。

 ソビエト連邦の国歌の英訳も参考になります。2010年5月9日現在, 英文wikipediaの"National Anthem of the Soviet Union"項目や、 これに対応する 日本文wikipediaの「ソビエト連邦の国歌」項目を比較すると, 日本語で「祖国」とされる部分で英語ではmotherlandが使われます。 (例えば,「讃えられて在れ、自由な我々の祖国よ 民族友好の頼もしい砦よ!」の部分が "Glory to our great Motherland, mighty and free, Bulwark of people, in brotherhood strong!"となります。)
 2010年5月9日現在,YouTubeで1936年当時のソビエト連邦の歌が, "Song about Motherland"としてみられます。 なお YouTubeで"Song about Motherland"を検索すると色々な国のMotherland曲が検索できますが, やはりロシアの歌のヒットが多いようです。 (本文に戻る

注9)  残念ながら,この歌詞の英訳は,2011年8月15日現在,ネット上で確認できなくなっているようです。

 元のロシア語の歌詞は,2010年10月31日現在, こちらのHPで見られます。また,この歌は「祖国は聞いている」という歌に和訳され, かつて歌声喫茶等でさかんに歌われたようです。2010年10月31日現在,その歌詞も こちらのHPので読むことができますが,元のロシア語の歌詞とは少し異なっています(音声が流れます)。 (本文に戻る

注10)  例えば,2010年5月8日現在,Googleで「"abstract motherland"」と検索すると77件ヒットしますが, 「"abstract motherland" -Russia」と検索すると51件のヒットとなります。 基本的には差し引き26件がRussiaという語を含んでいた計算になります。 この結果は,"abstract motherland"という表現が しばしばRussiaを語る際に使われてきたことを示唆するものと思われます。 (ただし,1)1970年の出版時から40年を経た現在における検索結果であることや, 2)Googleの検索結果が(「A B」と検索したときと「A A B」と検索したときとで 結果が異なるなど)必ずしも純粋な集合演算でないことなどから, データとしての説明力は限定的です。同日に 「"abstract motherland" Russia」を確認したところでは,59件の結果でした。) (本文に戻る

注11)  2010年5月8日現在, 英文wikipediaの"Mother Motherland"項目で, 複数のMotherland像について説明を見ることができます。 (本文に戻る

注12)  著者の経歴を改めて確認すると以下のようです:まず1933年にイギリスの植民地時代のインドに生まれました。 1953年にカルカッタ大学のPresidency Collegeを優秀な成績で卒業, イギリスに留学(その数年前の1947年にインドは独立),1956年ケンブリッジ大学のTrinity Collegeを同じく優秀な成績で卒業します。 1956年にインドに一旦もどった際,まだ23歳になろうかという年齢で カルカッタのJadavpur Universityに突然の教授職を得て2年間勤務,その上でケンブリッジ大学に戻り 1959年に学位(Ph.D.)を取得しました。Trinity Collegeではその後4年間自由に活動してよいという立場を与えられます。1960年から1961年に Visiting Professor としてMITを訪れたりした後(そのほか,スタンフォード大学や カリフォルニア大学バークレー校でもVisiting Professorとして教えた模様です),1963年から1971年にかけては長くインドで活動,the Delhi School of Economics(DSE)を中心に経済学を教えました。本書は,そうした中,1970年に発表された書籍です。 著者は1971年にLondon School of Economicsに経済学教授として迎えられ, 1977年にオックスフォード大学に移るまでここに勤めました。

 (1953年に卒業したPresidency Collegeはカルカッタ大学(University of Calcutta もしくはCalcutta University)のaffiliated collegeの1つで,国内の多くの書籍で「カルカッタ大学卒業」とあるのは間違いではありません。 Presidency Collegeのホームページはこちらです。その歴史になどについては,2010年8月26日現在,英語版wikiの資料も参考になります。 また,カルカッタ大学のホームページはこちらで, その歴史などについては,2010年8月26日現在, 英語版wikiの資料 も参考になります。 なお,2010年に入り,Presidency Collegeを独立したuniversityに格上げする法案が可決され, カルカッタ大学の一部という位置づけは近く変わりそうです。2010年8月26日現在, こちらのHP でこの件に関する2010年3月20日のニュース記事が見られます。)

 著者の経歴については,ノーベル賞のオフィシャルサイトの中に著者自身による詳しい経歴説明があります。 またノートルダム大学のHP資料も署名付きで信頼できると思います。 日本文wikipediaの資料英文wikipediaの資料 もそれぞれ参考になります。2010年8月26日現在,残念ながら各資料の情報は年号などで一貫性がありませんが, 不一致部分については著者自身による説明文などを優先してまとめました。

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注13)  1976年,憲法の前文に補正が加えられ,SOVEREIGN DEMOCRATIC REPUBLICという記述が, SOVEREIGN SOCIALIST SECULAR DEMOCRATIC REPUBLICになりました。 もともとインドは社会主義を重視していましので, その立場を憲法の文面にも反映するようにしたものですが, 従来のものを変更するのですから,それなりの論争があったものと想像されます。
 2010年8月22日現在,この補正の主旨は こちらのHPで確認することができます。 (本文に戻る

注14)  1957年10月,ソビエト連邦は人工衛星「スプートニク1号」の打ち上げに成功, アメリカ合衆国に衝撃を与え,以来,両国ともに膨大な予算を投じてその優秀性を競い合っていました。 本書が出版された1970年の前年1969年の7月にはアポロ11号が有人月面着陸に成功, 以降,アメリカ合衆国の勝利を印象づける形で終了していきますが, この終了は双方がすでに大いに疲弊してしまっていたことも背景でした。
 さて,p.ivの「序言」には,本書の最初の草稿が1966-67年に用意され,その後,校正を続けてきたことの説明があります。1960年代の後半といえば,ケネディ大統領が1961年に言明した「今後10年以内に人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という 目標の実現をめぐって,特に宇宙開発競争が激しさを増した時期でもありました。著者は貧困の問題に着目していく経済学者なのですから,その研究上の関心という観点からも,ここで 「恣意的な目的関数」に宇宙開発競争が数えられている可能性はあるように思います。
 なお,本書のp.iii-vの「序言」の執筆の日付は1969年8月1日になっています。 アポロ11号の月着陸船の着陸は1969年7月20日,ニール・アームストロング船長らが月面に降り立ったのは翌日7月21日ですから, 極めて近い日付です。この序言は,まだ世界が興奮から冷めきらない中でまとめられたものということのようです。 (本文に戻る

注15)  ここでの注意点のひとつは,この段落の構文では「価値あるものである」と「確かにしばしば行われてもいる」は,それ自体,「これらの行為」に関する共通の性質であるという点です。そこで,「共通する何か」については,これを単に「価値あるものである」ことと「確かにしばしば行われてもいる」ことであると理解し,それ以外は考えないという選択肢もないわけではありません。また,そうしても「われわれの研究の主題」があまり人気を博さないおそれがあるという意味のつながりは一応残ります。この仕組みも著者の準備した多義性かもしれません。そのように読んだ場合には,しかしながら,なぜ「そのどちらにもかかわらない」のかの読み取りが難しくなり,本当に本研究が面白くないというだけの意味になってしまうでしょう。第2段落とのつながりも曖昧になります。やはり,前述のように「価値あるものである」と「確かにしばしば行われてもいる」以外の「共通する何か」を第2段落と対応づけて考えるのがよいでしょう。 (本文に戻る


[2010年5月8日 初版をアップ](最終アップデート:2011年9月1日)


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