アマルティア・センの『集合的選択と社会的厚生』を開く
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どんな本なのか?

 本書は,"厚生経済学の名著","社会的選択理論の古典","アマルティア・センの最も重要な著作のひとつ" というのが多くの方の評価でしょう。 私もそのように思います。


 本書は1970年に英語で出版された厚生経済学のテキストであり,「平等」が多くの異なる形で解釈できること,それぞれの解釈に応じて集合的な選択をおこなう異なるシステムが得られることに着目しています(1.1「予備的注意」)。集合的な選択は,当面は「集団的な意思決定」と理解してよいでしょう。


 展開としては,パレート基準に対する盲信への批判を基調としつつ「不純な」システムを擁護する最後の議論へと収束していくのですが,全体を通じてたいへん幅広く奥深い内容です。


  1. アローの不可能性定理 リベラルパラドクスの問題の他, 価値自由 正義などの切り口からも議論を重ねて,倫理学的,哲学的な水準で集合的選択のあるべき姿を模索していきます。

  2. また,ブキャナンタロックロールズハーサニーサミュエルソンダイヤモンドナッシュなど,今日なお重要な多くの研究者の議論が検討されていきます。

 (厚生経済学はもちろん,さまざまな学問的な文脈に関連した魅力的な一冊といえるでしょう。)


 本書が「平等」の論点を中心においていた点も大切です。近年では,「何の平等か」という問いから潜在能力(ケイパビリティ)概念の提出に至る著者の議論が注目されますが,その原点を考えるための一冊ともいえると思います。


数学的に難解なのか?

 ネット上では,本書は魅力的ではあるが"数式が難しい"というコメントが多いようです。ですが,実際は一度判ってしまえばむしろ扱いやすい数論だと思います。数式が難しいのは最初だけです。本ホームページの解説などを参考にして,目新しい記法や著者独特の簡略化した論法にひとつひとつ慣れていけば大丈夫でしょう。


 むしろ通常の文章部分において,より注意が必要であるように思われます。中でも1.1「予備的注意」は,つい軽く読んでしまいがちですが,おそらくもっとも注意を要する部分のひとつです。特に冒頭段落は本書の主題や構成を考えるうえでも重要であるのに,ひどく複雑なことになってしまっています。それには著者のもともとの意図のほか,当初の出版から長い年月が経っていること,それに日本語と英語の異なりの問題など複数の事情が関連しているようです。


本ホームページの内容

 本ホームページでは「アマルティア・センの『集合的選択と社会的厚生』を開く」と題して,まずこの冒頭の一段落をどう読むべきかを検討してみたいと思います。また第1章から第3章を中心に,数式も含めて,コメントが必要と思われるいくつかの点をリストします。(冒頭段落の議論は長いので,お急ぎの方はとりあえず「概要紹介」のみを読んで頂いても結構です。)


 本ホームページは,この本を読もうとしている方が少しでも取り掛かりやすくなるようにと思うものです。ですが,記述内容は個人的な解釈に基づいておりますので,その点はご了解下さい。また,ここでは本書が自由主義や社会主義といった思想の問題と深い関係があることなども説明します。読者の方の社会観はさまざまでしょうから,本書の議論や背景とする思想の中に共感できない部分が見出されていくかもしれません。実際,私自身も懐疑的にならざるをえない部分があります。とはいえ,それはそれとして,本書の理論が非常に興味深いものであることも確かだと思います。


 本ホームページが少しでもお役に立つようでしたら幸いです。


書籍画像は,勁草書房社より使用許可を頂いております。〕



〔本ホームページの主な内容〕

I.冒頭の段落について

 本書にはいくつか興味深い点があります。(1) 原書の冒頭段落に abstract motherland(抽象的な母国)という表現が含まれます。(2) 予備的注意の書き出しが,Buchnan and TullockのThe Calculus of Consentの書き出しに似ています。(3) 最初のページの脚注にLefebvreのThe Coming of the French Revolutionの文献情報があります。(巻末の文献リストに入れずになぜここに書くのでしょう? ) (4) 議論の途中で唐突にパキンスタン人(p.25)とオーストラリア人(p.63)の例が現れます。(5) 本書の最後で「不純なシステム」の価値が説かれます。

 冒頭段落の意味をとらえるには,こうした点も総合的に検討するのがよいようです。

(「冒頭の段落について」の概要はこちらです。本論は右画像をクリックして下さい。)

冒頭の段落について


II.読解のポイントを探る

 本書は通常の文章の方が奥深く,時間のかかる面があります。個人的には,先に多義的でない数学面から確認していくのが判りやすいかと思います。

 つまり,まずは1*章から10*章までの数論に集中するのがお勧めです。証明を含めて,すべて理解しようする方がよいでしょう。ときどき,数論の背景を確認するような気持ちで1章から11章の通常の文面にも目を移します。また,最初から原書を準備して,訳文と合わせて検討していくのがよいと思います。

(右画像をクリックして下さい。)

読会のポイントを探る



[2010年5月8日 初版をアップ](最終アップデート:2015年9月4日)

※ 本HPは,群馬大学社会情報学部教員の岩井 淳の個人ページです。お気づきの点などございましたら,iwai[at]si.gunma-u.ac.jp宛にお便り下さい。すべてのメールにはお返事できませんが,ご了解をお願い致します。


 

書籍の紹介と本ホームページのコンセプト

母国をロマンティックに美化して歌いあげることと,社会にかんする恣意的な目的関数を最適化することとの間には,共通する何かがある.これらの行為は価値あるものであるし,確かにしばしば行われてもいる.けれどもこの本は,私が思うに,そのどちらにもかかわらないものであろう.われわれの研究の主題は,政策の目的と社会を構成する人々の選好や願望との間の関係である


(『集合的選択と社会的厚生』第1章「はじめに」1.1「予備的注意」より第1段落)