検討項目
位置 |
検討する部分 |
種別 |
訂正案, コメント |
P.48 L.12 |
〔3.3の第5段落(条件Dの議論)〕 |
X |
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P.52 L.3 |
(条件Dについて) |
X |
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- P.52 L.3の正式な定義文の中に「ルールfの定義域にあるすべての要素にかんして」とあります。
- アローの定理では,(条件Uと合わせて考えることになるので)集合的選択ルールfの定義域には,結局ありとあらゆる個人的選好の布置が含まれることになります。
(個人の数がn人の場合,定義域の要素の数は「"1人の個人に論理的に可能な順序の数"のn乗」で,その1つ1つがここでいう「布置」です。)
例えば,個人が3人いるとすれば,「3人とも全選択肢について無差別」というのは1つの布置であり,つまり定義域の1つの要素です。
- 独裁者と
は,そうしたすべての布置に関して,「∀x, y∈X: xPiy→xPy」が成立してしまうような個人です。
- すべての布置ということは,その独裁者自身の選好についてもあらゆる可能性を考慮するということです。独裁者は,ある選択肢x, yについて無差別な場合もありますが,そうでない場合もあります。そして,「そうでない場合」,xPiyが成立するときには常にxPyとなるというのが独裁制の定義です。
(もちろん,「yPixが成立するときには常にyPxとなる」ともいえます。)
- P.52の第7行目から「完全に無差別な個人を独裁者とみなす論理的な危険」について書かれていますが,この危険が除かれるのは,上記のように,独裁者に(無差別でなく)xPiyとなるときもあることが保証されているためです。
- なお,「∀x, y∈X: xPiy→xPy」ということは,独裁者がxIiyであったときの社会的選択は特に言及されていません。つまり,本定義の場合,「独裁制」であっても,独裁者がxIiyのときに社会的にxIyでなければいけない訳でなく,xPy, yPxの可能性も残されていることになります。
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本ページの概要とお願い:
- 本ホームページは,Amartya Sen先生の『集合的選択と社会的厚生』(日本語版, 勁草書房)の
特定の記述項目について,読む上でのポイントを考えるものです。
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[2012年2月5日 初版をアップ]
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