検討項目
位置 |
検討する部分 |
種別 |
訂正案, コメント |
P.3 L.10 |
社会がその中の人々に従属していると想定はするが,
その従属性を抽象化し,社会が...をもっていると
単に「仮定する」ということも |
Y3 |
何らかの依存関係が存在しうるという見解も可能である。しかし,人にはそこから抽象して,社会には...があると ただ「仮定する」ことも
|
- 検討部分に前後を加えた
-
あるいは,
社会がその中の人々に従属していると想定はするが,
その従属性を抽象化し,社会が...をもっていると
単に「仮定する」ということもできるであろう。
は,原文では以下のようになっています。
-
Or that there might be a dependence, but one could abstract from it, and simply "assume" that society has ...
- 直前の文は以下の構造で,
- It is ... possible to take the view
- that a society is an entity ...,
- and that social preference need not be based on ...
この構文との関係から,検討部分の"Or that"のthat節では"It is ... possible to take the view"が省略されていることが判ります。
※that節は"dependence"までで,"but"以下は("but that"などとなっていないので)別でしょう。
現在の訳でもこのように構文をとらえていると思います。
- 以下の点で,訳文の表現について考えてみました。
- 訳文には「社会がその中の人々に」という原文にない表現が含まれています。
これは"dependence"が前文の第1のthat節中の「独立した」("independent")に呼応しているという観点からだと思います。
ですが,この"dependence"は,前文の第2のthat節の意味もあるかもしれません。
つまり,「社会的選好」の「人々の選好」に対する"dependence"のニュアンスです。
以下の点からそのように感じます。
- 前文の第2のthat節には"be based on"の表現があり,意味的にはこちらも"dependence"と近い関係にあります。
- 前文の2つのthat節はほぼ同格の扱いですが,後者の方がより詳細な表現になっていると思われます。
またこちらの方が検討部分に近い位置にあります。
- もうひとつ,検討部分の"dependence"は,この段落の最後の文に出てくる"dependence"とも呼応しているはずですが,
そちらでは「社会的選好」の「人々の選好」に対する"dependence"の意味になっています。
以上の点から考えると,むしろ第2のthat節に合わせた表現の付け加えの方が適当かもしれません。
とはいえ,もっとも自然なのは原文に合わせて何も付け加えないことのように思われます。
- 「従属していると想定はするが」は,"there might be a dependence"の訳としては少し強すぎるように思いました。
「何か関係があるかもしれないが」という,もう少し程度の弱い意味あいかと思います。
- 「その従属性を抽象化し」の部分が少し判りにくいかと思います。
単に「曖昧にする」という意味や,すでに抽象概念である「従属性」を
さらに抽象化するという意味にも読めてしまうように思います。
この部分は原文では"abstract from it"で,itは直前の"dependence"ですから,
"dependence"から何かを抽象的に取出すニュアンスがあると思われます。
結果として抽象的な「社会のパーソナリティ」や「社会の選好」という概念が現れるいう文脈でしょうから,
この流れが判るように,原文に近いかたちで「...から抽象する」と訳してはどうかと思いました。
(日本語で「...から抽象する」ということはあまり多くないようにも思います。また,abstract fromは「...を抽象的にとらえる」「...について抽象的に考えを進める」ともできますが,ここではあえて「...から抽象する」とそのまま訳した方が判りやすいように思いました。)
- 以上のような観点から上掲の訳案をまとめてみました。少し長くなりますが,直前の文とつなげると下のようになります。
(訳案1)「社会はその中の人々から独立したひとつの実体であり,
したがって社会的選好はその社会を構成する人々の選好に基づく必要はない,
という見解を採用することはもちろん可能である。
あるいは,何らかの依存関係が存在しうるという見解も可能である。
しかし,人にはそこから抽象して,社会にはそれ自身のパーソナリティと選好があると
ただ「仮定する」こともできるであろう。」
("abstract from it"を「そこから抽象して」としました。「それから抽象して」も可能ですが,「それから出かけた」などの「それから」と紛らわしい問題もあることから,ここでは「そこから」としてみました。)
- 修正範囲が広がりますが,もう少し踏み込んだ別の訳案もつくってみました。(語順がより原文に近くなるようにしてみました。)
(訳案2)「以下の見解をとることは,もちろん可能である。
すなわち,社会はその中の人々から独立したひとつの実体であり,社会的選好はその社会を構成する人々の選好に基づく必要はないという見解。
あるいは,何らかの依存関係は存在しうるという見解。しかし,人にはそこから抽象して,社会にそれ自身の
パーソナリティと選好があると安易に「決めてかかる」こともできるだろう。」
|
|
本ページの概要とお願い:
- 本ホームページは,Amartya Sen先生の『集合的選択と社会的厚生』(日本語版, 勁草書房)の
特定の記述項目について,読む上でのポイントを考えるものです。
-
本ホームページの主旨や注意などについては,こちら(「読解のポイントを探る」項目リストページ)をご覧下さい。
|
|
[2010年12月28日 初版をアップ](最終アップデート:2011年8月30日)
|